どうして政治家に?

いつなぜ政治家を目指したのでしょうか?

目指したのが13年前になります。

私が住んでいた倶知安町の、ニセコ・ヒラフというリゾートエリアがあるんですけどそこの国定公園の中にあったホテルが外国資本に売却されてしまったんですね。

そのあと外国資本のホテル、コンドミニアムホテルといって、部屋をそれぞれ分譲するタイプのホテルでプロジェクトが進められました。

ただ国定公園の中で分譲タイプのホテルというのは法的に認められていないんです。

日本ではそういったものが認められていないんですけれど海外では一般的なんですね。

そして私たちが知らない間に実はそのプロジェクトを香港で売りに出していたんです。

それをたまたまメールで知ってしまってですね、「これはおかしいんじゃないか」ということで、そのプロジェクトを手掛けている事業者さんに問い合わせをしたんですけれど「いや、そんなの知らない」としらを切るわけです。

ホームページはもうあって、販売しているのは確実だったんですよ。それでこれはおかしいということで行政だったり、あとは政治家の先生たちにですね、これはおかしいですよねということで話を持っていきました。

だけど「これは海外で売られているもので、日本の国内法では規制することができない」と。できない理由をたくさん並べられたんですよ。

僕それはおかしいですよと相談したんですけれど全く動いてくれない。

動いても効果的なことは何もないのでマスコミにですね、こういったおかしいことがあると情報を伝えると最初は新聞が動いてくれました。

次に動いてくれたのがテレビで何社も来て動いてくれました。

情報を出したことで最終的にはそのプロジェクトがなくなったんですよ。

これをきっかけにして、こういったグローバル化がどんどん進んでいるエリアで全くそれに対応していない法体系ですとか、もっと言えば事情も分からない現場を知らない人たちがそういった行政とか議員をやっているということにすごく危機感を感じて、「このままでいいのかな」と。

自分も子供が生れたばっかりだったんですね。こういったことが平気で行われるとその地域を、次の世代につなぐことができないなと思ったんですね。

私がこういったことに取り組んで今回のマスコミを使ってですね、こういったプロジェクトを止めたという経験から私しかできないんだ、僕がやらないと誰もできないなという思いで議員にならせていただきました。